【三条の木工】 三条では和釘の製造から始まり、農耕具や刃物などが製造されるに伴い、なくてはならない大変必要な部分で木柄の必要性が生じました。 その頃は、樹木の枝などをを自分で加工し、使用していたものと思われます。その後、金物類の柄入れ、金槌、鉈、などを主に行う職人の出現をみるに至りました。 金属製品の販売、製品化において、ずっとなくてはならず、地域の産業の底上げ的の大変重要なポジションでありました。
それは幕末期(1860頃)のことで、 以後、土農工具、利器工匠具の製造が盛んになるに連れて、それに附随する木製品の必要性も高まり、今日のような製品が専門職によって生産されるようになりました。明治20年代から30年代にかけてのことです。
その反面では、木の加工のみのによって、暮らしの便利用品、木のキッチン用品、インテリア用品、アイデア用品なども、その技術の高さから、日本の中央都市部に流れ始めていたようです。
それから100有余年が経過した今日、伝統的な木製品はもちろんのこと、 永年にわたり蓄積されたその技術に加えて、最新の機械設備も積極的に導入され、時代のニーズに合った木製品が次々と生産されています。皆さんの使ってる、木の部分は、以外と、私たちが作っているものかもしれません。
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